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| ■ 野球選手に憧れて ■ |
松村邦洋:神無月さんは、中学の時野球やってらしたんですよね。岐阜ですよね。 神奈月:そう、土岐市。 松村:そういえば、昔、土岐商業から阪神に、奥村(武博/1997 D6位・2001引退・阪神打撃投手2002退団)というピッチャーが入りましたよね。 神奈月:俺も本名、「奥村」っていうんだ。だから、もしかしたら、どこかでつながった親類かもしれないね。地元は中日ファンが多いですけどね。岐阜だから。 松村:当時、大人気だった、中京高校の野中(徹博)さんというのがいましたよね。阪急で、ドラフト一位('83)をとった… 神奈月:途中で、バッターに転向したよね。 松村:福本(豊)さんがコーチで、バッティングもよくなってきて、台湾でも野球やったり、サラリーマンも経験したり、もう一回中日でユニフォーム来たり… 神奈月:ヤクルトにも行ったんだよね。 松村:ヤクルトで初勝利をあげましたよね。美濃加茂東中学時代から、ニュースセンター9時とかで、江川(卓)に続く逸材として、放送されたこともあったし。中学時代は、全国大会、準優勝だったんです。 神奈月:実は、そのピッチャーと対戦したことがあるという。唯一、プロに行った選手と。中学時代、野球の練習試合で。 松村:速かったですか? 神奈月:速かったですわ〜。軟式だから、球が、ホップしてきますわ。もう、モノが違いますよ。プロになる人は。中学、高校の頃から、違うんです。 松村:中学のときに、ニュース番組が特集するぐらいなんですから。その選手と対戦したことがあるなんて、もう、これは、トリビアですね。 神奈月:それが、中3のときだったんですが、高校に行ったらもう、彼は中京高のエースですからね。そんな球を打てるはずがない。 松村:2年のときは、甲子園行ってますよね。いま、高校名が中京高から中京大中京ってなってるんですよね。 神奈月:…しかし、それって、考えてみれば、俺たちのことと、あんまり関係ない話だね。 松村:まあ、神奈月さんの野球歴史ということで(笑)。 神奈月:松村くんも、野球やってたんでしょ? 松村:はい、高校のときね。 神奈月:中学のときは、やってなかったの? 松村:やってなかったですね。 神奈月:でも、野球は好きだったんでしょ? 松村:好きでしたね。 神奈月:ボクらの時代は、プロ野球選手になるっていうのが夢で、まず野球に取りかかりましたよね。 松村:そうですね。 神奈月:まさか、プロ野球選手のモノマネをやろうとは、思わなかったでしょ? 松村:思わなかったですね〜。 神奈月:そうだよね。本物のプロ(野球選手)になろうと思っていたんだから。 松村:タイヤの真ん中のところを抜いて、それを庭の木に縛りつけて、金網でブロックして、小学校のころは、よくバッティング練習してましたものね。 神奈月:やってましたね〜。ボクは、直接木でやってましたね。木がだんだんもげちゃってね。それぐらい好きでしたね。 松村:やっぱり、『巨人の星』とか、野球漫画をやってましたからね。『ドカベン』を始めとする野球漫画にしても、野球熱が高くなるような物が多かったし。ボクの中では、漫画イコール野球漫画でしたからね。 神奈月:(笑)それに、現役時代の長嶋さんとか、王さんとか、そういう方々にも影響されましたね。野球ファンにとっては、幸せな時代だったと思います。 |
| ■ 野球選手に挫折して ■ |
松村:中学生ぐらいのときに、野球選手の夢が絶たれるわけです。現実がわかって。ああー、もう野球選手になれないなぁ〜、可能性ないなぁ〜って。近所に野球の弱い高校があって、そこへ行ったら、レギュラーになれるんじゃないかと思ったりして、親父にノックしてもらったりしましたね。親父にキャッチャーやってもらって、ものすごく近くで投げているのに、「いい肩してるな」なんて言われると、調子に乗ったりね。 神奈月:一種の親子鷹なんだね。 松村:プロにはなれないとわかっていても、好きでしたから、高校に入ったとき、軟式野球部ができたんで、入部したんです。そこでキャッチャーを。神奈月さんのポジションは? 神奈月:ボクは外野でしたね。センター。新庄と同じです。 松村:だから、新庄のマネしてるんですか? 神奈月:そういうわけじゃないけど(笑)。たまたまですよ。 松村:モノマネやろうなんていうのは、やっぱり一回目の夢が崩れてからでしょうね。 神奈月:そりゃ、そうでしょ。 松村:まず、野球選手の夢が崩れる。それで神奈月さんは、次にジャニーズ事務所かなんかを志したと思う。 神奈月:いや、そこまでは…。 松村:でも、俳優で出ようと考えたと思いますよ。 神奈月:確かに芸能界には、憧れましたよね。でも、お笑いじゃないですよね。まあ、役者という感じですよね。でも、漫才ブームがあって。 松村:あのブームには影響されましたよね。ボクは中学生だったなぁ。 神奈月:うんうん。人を笑わすって、かっこいいなぁって、ちょっと思いましたよね。ひとつ目の夢に破れて、生き残る道はどっちだという感じだったから。ボクは教室とかで、モノマネやってましたよ。みんなの前でね。
松村:高校時代も? 神奈月:やってた、やってた。先生のマネとかね。 松村:ボクは中3からですね。中2ぐらいの時も、やってはいたんですけど。西田敏行さんの『もしもピアノがひけたなら』とか歌ったりしてたけど、ダメだったなぁ。何だか違うという感じでした。西田さんじゃないな、これって。 神奈月:あんまりウケなかったの? 松村:顔は似ているって言われましたけど…。中3ぐらいから、暴走族に入った先輩や、金八先生の生徒のモノマネとか、してました。 神奈月:ボクもモノマネを始めて、夢ができてよかったって思いましたね。ボクらがプロ野球に行ったヤツを見て、自分には、プロ野球は無理だなって感じたように、ボクらを見て、こいつら、違うな〜と感じたヤツがいると思うんだけどなぁ。だから、お笑いの道に進んだことは、周囲から意外だとは、思われてないと思うんです。…まあ、ここまで残っていることは、意外かもしれないですね(笑)。田舎の人にとっては、わからない世界だからね。チャレンジすることは、誰でもできるけど。 松村:ボク、 21歳のときですかね。太田プロに入れていただいて。まだ左も右もわからないころ、ダチョウ倶楽部の竜(上島竜兵)さんの奥さんになった広川ひかるちゃんなんかと、池袋のスター誕生というライブ会場に行ってね、まあ、ライブでも見に行こうかって話になったんですよ。そこに、ダチョウ倶楽部の肥後(リーダー)さんがいらっしゃって、「見るだけじゃダメだよ、出なきゃ」って言われ、そのままライブに出していただいたことがあるんです。そのとき初めて、神奈月さんに、お会いしたんですよね。 神奈月:ほとんど同期だよね。 松村:いやいや、先輩ですよ。神奈月さんは、佐々木つとむさんのお弟子さんなんですよね。 神奈月:でも、ほとんど変わらないですね。知り合って、もう15、6年になるけれど、いろいろな紆余曲折があって、こうして同じ事務所にいるということが、不思議だものね。 松村:神奈月さんの結婚式にもボク行きましたけど、原宿で一次会、二次会三次会と…。で、全裸で盛り上げようとしたら、神奈月さんの奥さんに怒られました。 神奈月:いい加減にしなさいってね。でも、それをいまだに気にしているところがすごいという話になるんですよ。会うたびに、「奥さん、怒ってないですかね」って。もう、怒ってないだろうって。昔のことだから。 松村:いや、いまだに気になるんですよ。奥さんが怒ってらっしゃったのが。「人の結婚式、何だと思ってるの」」って。全裸でしたから…。でね、ウケてるって、ちょっと勘違いしちゃったから。 神奈月:はははは(笑)。全裸で踊ったりとかね。 松村:そうですね。ボクも、ちょっとハイになっていてね。 神奈月:仕事帰りだったんだよね。 松村:でも、神奈月さんが結婚しているっていう認識は、世間ではあんまりないですね、きっと。まあ、奥さんがいて、どうこうという年齢じゃないですからね。ボクは奥さんに、誰か女性を紹介してほしいぐらいですよ。 神奈月:そうだね。結婚してるって思われてないかもね。もう、年齢がわからなくなってるんじゃないかな? 芸人さんて。 |
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